天道がよくわかる本

12 理・気・象について

理を悟り、気を正し、象を治める


 この世界は理と気と象によって構成されています。とは言っても私たちの目に見えるのは、象の世界だけですが。
この理・気・象を物に喩えて言うならば、コンパスで円を描くようなものではないでしょうか。
 コンパスの針を置く一点が「理」であり、描こうとする円の中心です。そして描かれた円が「象」にあたります。そして「気」は一体どこにあるかと言えば、その中間の何もないところです。すなわち理だけあっても、気が存在しなければ象は現われません。ちょうどコンパスの針を置いて止めているようなもので、動かそうとする気がなければ円は描けないのと同じです。また気があっても理がなければ、象が歪な円しか描けません。中心を失い、理に反した行ないをすれば、必然的に形も整わないものとなるのです。このように理・気・象が妙合してはじめてこの世が形作られているのです。
 またある御聖訓では、理がすべてであり、理の中に気の世界があり、その気の世界も外ほど軽い気(気天)であり、内ほど重い気(地獄)であり、中心に象(この世)があるというように説かれています。先ほどのコンパスの喩えとは逆の見方となります。
 そして人がこの世を去ると、その魂は打ち上げロケットのように外へと打ち上げられます。その時、魂のエネルギーが大きければ大きいほど、外へと飛んで行くのです。例えば魂のエネルギーが弱く重ければ、地獄にしか行けず、エネルギーが強く軽ければ地獄を突き抜け、気天へと行くことができます。
 そして得道とはその魂の持つエネルギーを一点に集束させ、地獄、気天をも突き抜け理天まで到達させることです。故に得道のことを一指貫天の法とも言うのです。神仏の一指をもって天を貫き理天へと到る法という意味です。
 私たちは今この理を悟り、気を正し、象を治めることをもって魂の修行を行なっています。全ての霊が気や象といった束縛から解かれ、理の世界へと到達することを目的としているのです。


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