天道がよくわかる本

53 宿命と運命と供養

努力で運命を切り開き、供養で宿命を変える


 「宿命は絶対に変えられない」とよく言いますが、それはなぜでしょう。それは宿命とは今の自分だからです。今生きている自分の姿こそあなたの宿命そのものだからです。そして今の自分とは過去の自分や、更に過去世の自分、又ご先祖さまが作ってきたものです。もしもご先祖さまの誰か一人でもいなかったとすれば、今の自分はこの世に存在してないでしょう。また、何家に男(女)として生まれるということも、すべて過去世に作った原因に対する結果としての表れであり、偶然ではないのです。
 例えば熱湯に手を入れたとすれば、その結果、一分後の私は手に大やけどを負っています。このように過去の出来事が今の私を作っているのです。ですから今この瞬間の自分とは過去世の集大成であり、その結果が宿命として今の自分を作っているのです。
 しかし未来の自分は、今これからやる私の行いにて如何様にもなります。これが運命です。いまの宿命をいかに良いものへと変えるかは、この命の運び方一つです。今の宿命を嘆いて何もしなければ何も変わりません。もっと裕福な家に生まれたかったとか、別の国に生まれたかったと言っても、それを変えることはできないように、あくまでも今の宿命(今の自分)を受け入れて、そこから変えて行くしかないのです。今の瞬間、瞬間を精一杯生きること。運命を切り開くとはこのことです。
 だが一つだけ宿命を変える方法があります。それが天道で行われる供養です。過去の集大成である宿命とは、私のご先祖さまや私の過去世でこだわりを持ったもの、例えば昔食べた魚とか、そういったもの全てが今の私を作っているのですから、私が功徳を積めばその功徳はその者たちにも及びます。またご先祖さまや過去世での罪を贖罪することで、今の自分をこの世に送り出してきた者たちの徳が上がります。その結果、今の自分はより良くなります。即ち宿命が変わったということです。
 供養とは「供に養う」と書くように、決して誰かにしてあげるものではなく、共に徳を積み養い合うものです。故にご神仏は「供養に貸借の関係は存在せず」と申します。例えば誰かのために護摩木を書いてあげたとしても、それはあくまでも自分のための護摩木であり、自分を救うこととなるのです。救えば救われる。別の言い方をすれば「回向返照」と言います。自分が発した光が他を照らし、その光がはね返って自分をさらに照らすということになるのです。
 人の努力によって運命(未来)を切り開くことと、天命ある供養によって宿命(過去)を変えること、この双方によって自己の人格、霊格を上げることができます。これは天道だけにしかできないことです。闇雲な努力ではなく、また単なる供養で終わらず、確実に自分自身の霊性、人格が磨かれて行くよう、日々精進して行きましょう。


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