天道がよくわかる本
14 肉体と霊(六道霊団)
車と運転手の関係
肉体と霊の関係は、よく車と運転手に喩えられます。すなわち肉体は車であり、霊(魂)はその運転手であるのです。もし運転を誤まって車が事故を起こしたとすれば、その罪は運転手の罪であって車の罪ではありません。運転手はその罪の償いのため、死亡事故などであれば刑務所に入れられます。
霊も同じです。人である時に起こした罪により地獄に堕ちて罪の償いをしなければなりません。また車が古くなれば買い換えるように、肉体も寿命を終えれば亡くなり、運転手である霊は一時車から降りて(霊界で)生活するも、再び別の肉体(車)に乗って新たな人生(人間以外に生まれるかも知れないが)を歩むのです。
このように車を次々に乗り換えるように生まれ変わり霊界と現象世界を往ったり来たりすることを輪廻と言います。そして輪廻は六道輪廻と呼ばれるように、六通りの道があるのです。仏教ではこの六道を気天・阿修羅・人間・畜生・餓鬼・地獄の六つの道であると説いています。ただここで言う六道の天とは仮の天の世界であり気天界と呼びます。真の天の世界はそれとは区別して理天界と呼んでいます。
要は車の搭乗者は一霊だけではなく、この六道に属するそれぞれの霊が乗って肉体を共有しているのです。この肉体(車)に乗っている霊は全て自分自身であり、ご先祖、一族の霊達(霊団)でもあるのです。その時、通常は車のハンドルを握っているのは人間道の私であり、行き先は霊団の総意で決まります。しかし、時として他の五道のいずれかがハンドルを握っていたりします。そうするとその霊の気質や苦しさが車の動向(人の言動や行動)に大きく影響してしまうのです。また、まれに自分以外の別の霊がハンドルを握ってしまうと、自分で自分の行動が制御できない事態も起きるのです。