天道がよくわかる本

15 肉体と霊(六道供養)

肉体は六道共通の依り代


 肉体はその者にとって深い霊の共通の依り代として、乗り合いの車の如く使われています。そして人の意思はこの霊たちの融合した思い、総意によって決まるのです。従ってこれらの霊はすべて私自身であるとも言えるのです。
 しかし、この霊たちは大きく六つの道に分けられ、それぞれ気質が異なり、修めるべき課題が違います。
 気天道はプライドが高く優越感が強く、阿修羅道は闘争心が強く争いを好み、人間道は自立心が強く、人に対して壁を作ってしまいます。畜生道は欲望を抑えることができず、餓鬼道は何に対しても満足できず感謝できない。そして地獄道は無気力となる。というように六道供養されていないと、このように悪い面が出てきてしまいます。しかし六道が人間道を中心に正しくまとまれば、人間性が優れ、正しい判断により道を歩むことができるのです。
 ある時、ご神仏よりこのような問題が出されました。「得道して理天に返ることのできる霊は六道の内どの霊か?」

 ①六道すべて
 ②気天、阿修羅、人間の上三道の霊
 ③人間道の霊のみ

 さて、皆さんの答えはどれでしょうか。正解は③の人間道の霊のみです。しかし、ご神仏は③と答えた者に対し、それでは悲しすぎる。道を得て、六道が正しくまとまり(六道供養がなされ)、救霊、修道するならば六道全てが救われ理天へと返ることができる。六道は一蓮托生として①の答えも正解としました。
 得道するとは、先祖、一族を救う代表として選ばれたに過ぎません。道を得た後に如何に多くの縁ある霊を救うかが霊の器の大きさであり、肉体(車)の乗車定員を決めるのです。その志が強ければ強いほど、多くの霊を導き、救って行けるのです。


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