天道がよくわかる本
21 功徳費について
真心を表わす表現、功徳に繋がるお金
私たちが得道する時に必ず功徳費と呼ばれる財施をします。なぜこのような財施を必要とするのでしょうか。
功徳費は私たちの真心を表わす一つの方便であります。天道の三宝という貴い宝、かつて聖人・修行者が難行苦行の後にしか得ることができなかった法を得るのですから、今得道しようとしている私にそれだけ真心があるか否かを示さなければなりません。それをお金という形で表わすのが功徳費です。そして、その徴収は暫定佛規という規則に定められています。
では、なぜお金によってそれを表わすのでしょうか。そもそもお金自体にその価値があるわけではありません。お金はそれを発行している政府の保証があるから流通し価値があるだけであり、もしもクーデターでもあってその政府が倒れれば、その瞬間からそのお金はただの紙切れ、金属片に変わってしまいます。金塊であっても同じです。決して死後の世界まで持っていくこともできないし、確実に価値が保証されたものでもありません。
お金とは、人がどのようにそれを用いるかによって価値が生じる修行のための道具に過ぎません。良いことに使えば功徳という普遍の財へと姿を変え、死後の世界へと持って行くことができるし、子孫にもその恩恵をもたらすことができます。しかし欲を出して悪いことに使ったり、悪い行ないにて得たものは罪というマイナスの財と変わってその借金の返済に追われ、業の清算という形で死後にも子孫にも影響してきます。
得道のときに出す功徳費は、今世、過去世の借金を返し、因縁解脱の道を得るための最も良いお金の使い方であり、功徳へと繋がるものです。ですから功徳費は人それぞれの真心として出すものであり、金額の定めはありません。しかしどうしても金額を提示しなければならない場合や、大勢の得道式において金額を一律にしなければならない場合は、そのときの時勢に合った金額にすることが大切であり、また決して相手に無理な金額を強要してはいけません。
同様に、護摩木や符を書くために使われるお金も功徳費の一つであり、それによって救われる霊の冥加金、すなわち霊の命乞いのお金であると言われます。それは財施であると同時に、霊を供養し救おうという思いも入り、供養施ともなります。
ただ書いたとか、ただお金を出したというだけでも大きな供養へと繋がりますが、救いたい、供養したいという真心がそこに込められれば、さらに大きな功徳へと繋がり、救われる霊も増えるのです。