天道がよくわかる本

31 超抜について

肉体を持たない霊の得道式

 超抜とは肉体を持たない霊が得道して理天へと救われることを言いますが、しかし天道が世に降されてより長い間「生は度しても死は度さず」とされ、肉体を持つもののみしか得道することは許されていませんでした。しかし一人の子が救われ道を成し遂げれば、九玄七祖(九代の子孫、七代の先祖)にその功徳は分けられ、その功徳を以って救われるとされてきました。そこで道を行じ為し遂げることを前提に、修行中であっても父母、祖父母等の霊を救うことが三官大帝さま、地蔵古佛さまの再三にわたるさまへの懇願により、一九二四年にはじめて許されました。これを亡霊超抜と言います。しかしこれはほんの特例であり、道を行じる者のみに許された恩典でした。
 本格的に霊界に救いが拡大されたのは気天神超抜のときからです。気天神超抜は、一九八六年(昭和六十一年)、『気天神超度の標榜書』、そして『気天神超度超抜佛規』、『君護摩佛規』が示された時から始まりました。
 そして丁度その前あたりから、全国で霊界の声を伝える霊媒者が続出すると共に、ご聖訓においても直弁機という天才機守の口や体を直接用いたご神示や霊媒に憑依した霊との問答が行われ、それまであまり意識されていなかった霊界の存在を私たちに教えてくださいました。
 しかし霊界への救済が本格的に始まったとはいえ、最初は六道霊の中で徳の高い気天神のみの超抜でした。それが次第に阿修羅神へと拡大され、最終的には六道は一蓮托生として、六道全体が救霊の道筋を辿ることよって、積徳して超抜されるまでになったのです。
 その救霊の道筋とは全国にできた御堂と天安堂、観音堂、弥勒寺です。そしてその道筋を歩むための積徳の糧がさまざまな道具であり、その心からの奉納でした。超抜の佛規と君護摩佛規が同時期に降ろされたのも、霊界への積徳の方法を示すためでした。道筋のない霊たちは直接には徳を積むことができません。逆に罪を作ることもないかもしれませんが、徳を消費してしまうだけです。そこで天道の救霊の道具が出るまでは、気天神は己れの気天神としての在天期間(気天神の霊界での寿命)を少しでも延ばすため、人にご利益を与える見返りとして人の福・禄・寿、すなわち人の幸福、食い扶持や財産、寿命というものをその代償として奪ってきたのです。
 中には現世利益のみの宗教団体を興して多くの人から徳を吸上げるものまであり、現世利益を現わすために四生霊を使役したりしてきたのです。 しかし、もうそれは許されない時代となりました。全てを救い尽くすことにおいて一部の霊のみの独占や救いに繋がらない教えは姿を消して行きます。 そして現在、救済の門戸は四生霊にまで拡大されました。今まで六道霊しか扱えなかった道具、特に君護摩木も四生霊に開放され、これから全ての霊を救い尽くすために本格的な普渡収円の時を迎えたのです。
 しかし亡霊超抜も気天神超抜も超抜の段階に至るにはその依り代となる人の存在が不可欠であり、超抜式においては肉体も功徳費もない(直接出せない)霊に代わって超抜式(霊の得道儀式)に出ていただける超抜引保師が必要なのです。超抜された霊はその見返りとして私たちを理天より守護して導いて下さいます。どうか一人でも多く超抜式にお体をお貸し下さい。また、全ての霊が一日も早く超抜の日を迎えられるように、君北斗七星護摩木をはじめ多くの道具のご奉納をお願い致します。


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