天道がよくわかる本

35 三施と供養施

財施・無畏施・法施


 十大閻君さまの御聖訓にて説かれている「三施とは」「供養施について」に基いて書かせて頂きます。
 私たちが道を歩む方法は伝道、研参、守玄の三つがあります。これを行道の三本柱と言い、自らを磨き向上させる方法です。それと同様に徳を積む方法にも三つあり、これを三施と言います。
三施
 「三施」とは、財施、法施、無畏施のことです。
 「財施」とは、財を以って施すということです。これは道のため、他のために正しく用いれば徳となりますが、逆に財を抱え込み、自らのことのみに用いれば罪となります。
 「無畏施」も同様です。無畏施とは辞書によれば、「菩薩が衆生を畏れ(恐怖)から解放すること」とありますが、私たちのできることとして、もっと簡単に言えば、他のために何かをすることです。例えば困っている人を助けることもそうであり、ご奉仕などもこれに当たります。しかし、逆に人を苦しめたり、使役すれば徳を損ないます。このように与えれば得る、施せば徳となり、逆に得れば損なう。奪い己れのためのみに用いれば罪を作るというのがこの世の法則なのです。
 「法施」とは法(救い、正しい教え)を説くことですが、これは法を説く者も、そして法を聴く者も皆、徳を積むこととなります。ただし歪曲した理、間違った教えを説き聴かせたり、それを聴いた者が信じ誤った方向に進んだ場合、大きな罪となります。しかし天道の法、三宝を説き聴かせることに歪曲はありません。なぜならば三宝は説くものではなく、また文字でもなく、ただ得るのみだからです。ですから天道の三宝すなわち得道、一指貫天の法を伝えることは最高の法施となります。また、財施も無畏施も道のため、救霊のために為されるものであれば、一切の因業はその施しによって解かれ、高き霊数を養うものとなります。

供養施
 施しは人から人のみではなく、人から霊にも届けられるものです。それは人から霊への法施であり、無畏施であります。これによって一切の霊魂は地獄の裁きを軽減され許されます。
 施しという慈悲の心、美しい心の無いところに善功は存在せず、人の仁慈の思いに頼らずして、霊の罪を浄化したり悪しき念を鎮めたりすることもできません。皆、全ての魂はご神仏の慈悲に養われているのです。
 「供養施」は、三施に加えて行なっていかなければならない供養です。この供養施を行なう方法として出されたのが天道の道具です。姿形のない霊に施しをする最も良い方法が、心のこもった道具の奉納と言えます。

回向返照
 供養とは「供に養う」と書くように、供養施を為した結果、施したものは全て自分に返ってくることとなります。与えれば得るというように、自らが発した慈悲の光、救いたいという思いはご先祖さまや全ての霊に届き、はね返って自らの徳となり、自らもそして霊をも潤すこととなるのです。これを回向返照と言います。逆に今自分が感じる苦しみは、ご先祖さま始め私に縋る多くの霊の苦しみでもあります。多くの霊の苦しみを除き、その結集されたものが、素晴らしい世の中を創って行きます。皆で素晴らしい道徳世界を創って行きましょう。


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