天道がよくわかる本

47 神人合弁

神と人が共に行う一大聖業


 天道は神人合弁の業であると言われます。神仏の絶対的な力(天命)だけでもないし、人の努力(人事)だけでもない。その二つが妙合したところに初めて大いなる力を発揮することができるのです。
 たとえば仏教では、念仏往生を説く他力本願の教えと、座禅瞑想などの修行による自力本願の教え、そして法の存在を追究する密教のような教えなど、一口に仏教と言っても様々な説かれ方が為されています。しかし、そのどれもが正解であり、どれもが偏った教えです。お釈迦さまが説かれたのは天道に他なりません。
 お釈迦さまご在世の当時は、まだ普渡が開かれておらず、全ての者に法を伝えてよい時代ではなかったため、道は教えとして説かれました。それが後世に仏教(お釈迦さまの教え)として伝わったのです。お釈迦さまは多くの荒行を経験し、人の勝手な解釈による修行では道が開かれないことを知りました。また神仏に縋るのみでも駄目であり、その妙合した道、「中道」を行くべきだと悟り、修行の末、燃燈仏(当時の明師)より法を授かり、理天の神仏となられたのです。
 このようにお釈迦さまの教えは自他力妙合であり、最終的に彼岸である理天に返るためには、そこに渡るための方法として船である「法」が必要であることを説いたのです。
 天道は神仏の絶対的な法権によるものであるも、その執行はあくまでも人事に委ねられます。このことは御聖訓を降す方法の中にも示されています。御聖訓は天地人の三才を介して降されますが、天地二才は一切声を発することなく、唯一人才のみが声を出し、神の意を伝えます。これは「天は語らず、地は言わず、人を以て知らしむ」ということであり、神仏の意を伝えるのも実践するのも人の役目であり、神仏は直接手を下しません。それはこの世が修行の場として設けられたものであり、天命の許に人が努力するところに道は開けるからです。また努力して道を歩む者に神仏は力を加え、その不足分を補って頂けるのです。そして、その人を通じて多くのご先祖さまや縁ある霊たちが共に働き救われていくのです。
 天道はまさに神人合弁の道であり、神と人が共に行う一大聖業です。


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