天道がよくわかる本
49 天命の道具①
供養、霊の働き場、因縁解消、救霊
天道では護摩木や符など、供養のためのものを「道具」と呼びますが、それはなぜでしょうか。天道の「道具」は天命により降ろされたものであり、「道の具」と書くように、私達が道を行じるために大変に手助けとなるものです。一般でいう道具に喩えるなら、木材を切るのにノコギリを用いますが、それはあくまでも使う人がいて道具が生かされることとなり、ノコギリはあくまでも道具に過ぎません。しかしノコギリがなければ木材を上手く切ることができないのも事実です。
天道の道具(護摩木や符など)も同様です。書く人(供養する人)がいて、はじめて道具は道の具として働きます。そして直接触れることのできない多くの縁ある霊の働きの場として、積徳滅業の機会を与えます。
また作るものによって、カナヅチとかノコギリなど、使う道具が違うように、天道の道具も供養する対象、働く霊によって用いる道具が変わります。しかしどの道具を用いたとしてもすべては因縁の解消、救霊につながるものです。あとはその道具をいかに心(気)を込めて用いることができたかどうかにより、道具の能力に違いができます。「貧者の一灯」、心を込めた道具の奉納こそ尊いものです。
どのような形にしろ、書かれた道具はそれ自体が供養でもあり、霊の働き場でもあり、因縁解消でもあり、そして救霊となります。その結果が願事の成就であり、自己の向上ともなるのです。
しかし結果が目に見えるかどうかは、その場合によって違います。
各自の因縁を池にたとえて説明します。道具を奉納するということは、ちょうど池に向かって石を投げ入れているようなものです。投げ入れた石(道具)はすぐ水面に消えてしまいます。しかしあきらめることなく投げ入れ続ければ、いつか池は埋まり、投げた石は水面に頭を出すこととなります。また、池の浅い部分では早くその結果が見え、深い部分では時間がかかります。
例えば病気平癒を願ったとします。その病気に関わる因縁が浅ければ、一つの石を投げ入れただけで石は水面に出、その成就を見ることができます。逆にその病気に関わる因縁が深いもの(池の深い場所)であれば、なかなか結果を見ることはできません。
しかし放り込んだ石(道具)は確実に池を埋め、その分、池は浅くなっているのです。
誰もが多くの因縁を背負い、また因縁の深い部分、浅い部分もあるものです。あきらめてはいけません。あと一つの石で結果が出るかも知れません。また祈願会のように、多くの人の手で池を埋めることも良いでしょう。人の池に一つの石を放り込めば、自分の池にも一つの石が放り込まれることとなるのです。