天道がよくわかる本
56 飛鸞宣化
天道のみに許された神人連絡法

神意は、本来それぞれの玄関を通じて悟るべきものなのですが、すぐにはそれに到達することは難しいものです。そこで未得道者や道の初心者を感化するために、ご神仏が直接なされる方便として飛鸞宣化が降されたのです。ただし方便とはいえ、そこに記されるのはあくまでもご神仏の言であり神意に他なりません。決して人が勝手に書けるものではありません。今までもそれを証明するかの如く様々な神業を御聖訓の中で見せて下さいました。三才全てが目隠しをして行ったり、二つの砂盤により掛け合いにて行ったこともあります。また書体を変えたり、文字をひっくり返して書いたり、梵字やヘブライ語、英語そして回文で書いたり。紙芝居のように絵で説いたり。とにかく様々な形をもって私たちを感化して下さいました。
しかし、文字をもって記される以上、神意を伝えるのには限界があります。かつて人が文字を用いるようになった時、天は号泣してそれを悲しんだと言われるように、文字は記録するには便利なものですが、読む者の解釈によって同じものでも何通りにでも解釈できてしまいます。御聖訓は奥が深いだけにそこに秘められる神意は計り知れません。そこで統一的な解釈、判断をするために、ご神仏の代行として人を導く者が定められているのです。それが領導理事会であり、その中心が理事長なのです。御聖訓に秘められる神意は時を経て初めて分かります。守玄により神意を悟りましょう。守玄とは玄関に気を集中することであると同時に、人の中心である領導理事長を中心とすることなのです。