天道がよくわかる本
58 不成仏霊
実体のある不成仏霊と、実体のない不成仏霊
輪廻は苦しみの世界です。しかし苦しみの世界といえど四生も六道も修行の場です。しかし不成仏霊は輪廻の中に在りながら、四生にも六道にも行くことができないものたちです。
不成仏霊のいる世界を六道の餓鬼道と区別して地上餓鬼界と呼びますが、この不成仏霊には大きく分けて二つの種類あります。
ひとつは実体のある不成仏霊、これは地縛霊、浮遊霊と呼ばれる霊であり、主に自殺した者や事故によって命を落とした者です。しかし自殺者や事故死した者が全て不成仏霊になるわけではなく、その者が死を迎える時の心の状態によって違います。この世に未練を残したり、恨みの念を持って亡くなる者の多くが不成仏霊となって、自分の死すら自覚できず三途の川を渡ることができないのです。
もうひとつは実体の無い不成仏霊です。これは生霊に代表されるように、人の悪想念・魂魄が、あたかも霊体のごとくに浮遊するものです。
不成仏霊には以上の二つがありますが、どちらも強い念、恨みや執着に縛られ、理を解することができず、動物神や邪神に操られ、様々な霊障を起こしたりします。不成仏霊が人間や社会に干渉してくる時は、人間の心の隙間や悪想念がその引き金となることが多いのです。特に言葉を通じてそれが増幅して伝わり易いため、特に人の陰口や悪口雑言には注意しなければなりません。 例えば「感謝の誠」は掃除を通じて人の念(不成仏霊)を浄化するための方法として神仏より降ろされました。
もし不成仏霊が集団で暴走すれば、天変地異や大事故をも引き起こすことともなります。昔からこれら災いの原因となる不成仏霊を封印するために御霊信仰ということが為されてきました。例えば戦争で亡くなった人を英霊として祀ったり、朝廷に祟りを為す霊を天神さまとして祀ったりと、不成仏霊を神として祀ることによってそのマイナスの力をプラスに向けようとしたのです。また、各地に設けられた神社仏閣もこの不成仏霊を封印する仕組みとなっているのです。不成仏霊は何ずれの霊団にも組織にも属さず、ふらふらとした存在です。人においてもそうです。故に各村や町にその地の土地神(鎮守神)を祀り、その土地神を共同で祀ることで、地域の規律や掟を定めました。村祭なども地域の共同意識を高めるために行われるのです。
しかし現在、各地の土地神の封印は弱まり、不成仏霊の活動が活発となってきています。その結果、大きな事故や災害も起きました。それを天命の許に天神と地祇の働きにて地獄の入り口である退魔堂へと送り込み、不成仏霊を正しい修行の段階へと送り込むのが天道の救霊の道筋です。今、退魔堂から天安宮、観音堂、そして弥勒寺へと送り込み、気天神超度にて救い上げるまでの段階が整いました。しかし、不成仏霊の救済に関しては、四生と六道の融合、天神と地祇の連繋があって初めて為せることであり、霊界への救済の道が開かれた後も不成仏霊の供養、救霊の方法は最後まで明かされませんでした。それだけ難しい供養であり、体制が整わなければ為せない供養が不成仏霊の供養です。今救霊の体制は整いました。しかし私たちが悪想念を発すれば不成仏霊たちは再び暴走することになるでしょう。そうならないよう、いつも美しい心でいたいものです。