天道がよくわかる本
7 理というものさし
理は決して変わらず偏らない
よく「理に適う」とか、「合理的」というように、全ての根本、ものさしとして「理」が存在します。
「対機説法」という言葉がありますが、これは相手によって、また状況に応じて説く方法が違うという意味です。例えば、ガリガリに痩せた人が医者に行き「もっと食べた方が良いでしょうか」と聞けば、医者はもっと食べた方が良いと答え、肥満の人が同じことを聞けば、食事を減らして運動しなさいと答えるかも知れません。このようにまったく同じ質問をしても答えが変わるのは、そこに一つの基準、ものさしがあるからです。
理は決して変わるものではなく、また偏りもありません。この世は相対の世界ですから、善があれば悪があり、善い行ないと思っていても、その裏側で悪い影響を及ぼしてしまうのです。例えば科学文明を発達させ便利になった反面、人間を堕落させたり、環境を破戒してしまうようなものです。ゆえにこの世は迷いの世界であるのです。
しかし、この相対の世にあって、理は唯一絶対のものです。それはラウム様の意であり、真理そのものです。このものさしをもって物事を判断すれば、決して間違えることはありません。
得道とはこのものさしを得ることです。このものさしこそ中心の一点であり、玄関のことです。そして、その後の行道とは、そのものさしを感じ、それに沿って物事を判断し実践することに他なりません。それが守玄であり、伝道であり、慈悲仁愛の心です。一を得て、一を感じ、そして実践して行きましょう。